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ユング

ユング 

2011年5月1日
文責:浦伸子 [医療法人アンリデュナン会 臨床心理カウンセラー]

皆さんはユングという心理学者をどんなふうに認識しているでしょうか?
ユングに関する本、あるいはユング本人の著作集は世の中に相当の数あると推察されます。専門家が読む本、一般の人が読みやすい本…わかりづらいですよね。ここで私が独断と偏見でお薦めするのは、誰が読んでもわかりやすいと思われる、数冊の本(絶版になっているかもしれません、ご了承ください。)です。まずは、

日本実業出版社、山根はるみ著 【やさしくわかるユング心理学】1400円×tax
を読んでみてください。さらに、
日本評論社 河合隼雄編集 【無意識の世界】(こころ科学セクション)1200円×tax

具体的にイメージを広げるには、
大阪書籍 山中康裕著 【絵本と童話のユング心理学】
創元社 森省二著 【アンデルセン童話の深層】【こどもの対象喪失(その悲しみの世界】1400円
新曜社 マリア・タタール著 グリム童話(そのかくされたメッセージ)2884円
福音館書店 河合隼雄著 【昔話の深層】1800円×tax で深めてみるとよいでしょう。
さらに、

講談社ソフィアブックス超図解シリーズのユング心理学(1900円×tax)同じく精神分析学入門。などはイラスト図解が主になっており、ユングの生涯を把握するにはわかりやすいです。その後は、
理想社 大山郁子作・コミック【ユング 深層心理学入門】もわかりやすくおもしろく読めます。これらを読むとユングの生涯を書いた本や入門書、著書などが紹介されていますから、もっと!という人は次の段階に進めます。

ユングの存在は(前回のウッキーペディアでも紹介された、)今は亡き河合隼雄先生が日本に導入して大衆の方に広まったといえます。(河合先生はたった一年ユング研究所に訪れるのが遅かった為にユング本人には会えなかったということですが。ご自身はしっかりと訓練を受けて帰国されました。)帰国後、日本にユングの精神分析法を取り入れ、専門家だけではなく、受け手である一般の方にとっても、たいへんわかりやすい表現・例を提示して、出版や講演をしたことで、親しみやすいユングのイメージがついたと考えられます。
余談ですが、私が河合隼雄先生に初めてお会いしたのが1979年、山王研究所という東京にある心理学のゼミナールなどを企画していた研究所で、そこの夏季講習会企画を受講したときでした。
以来私の中にあるユングのイメージはどうしても河合先生と重なっていました。そんな中、いろんなユングに関しての著作を読むうちに、ユングが背の高い大男だと知ってなんだかがっかりしてしまった事があります。しかも河合先生と違ってすこし神経質そう!!?〔写真だけではわからないけど・・・書をみてわかる!〕

自分が大学を卒業した頃、スターウオーズという映画が人気になり、そこに出て来る、老賢者的キャラクターのヨーダのイメージ=困った時に、あるいは人生の岐路に立たされた時に、進むべき道を指し示してくれる知恵者、老賢者としての存在、しかしそれなのに親しみやすい、なにかの化身としてこちらの心を試して来る、謎解きを吹っかけて来る、だけど母親よりも包容力がある・・・というような、存在。後に錬金術師(これはどんなことなのかは長くなるので割愛します。)としての役割を果たしていく・・そんな存在として、ヨーダの存在と河合先生・・・そしてユングが重なってみえていたのかもしれません。人間とは勝手なものですね。ヨーダと河合先生が似ているなんて・・・。あっつ!横道にそれてしまいました・・・
それにしてもどうして我々はユングに親しみを持つのでしょうか?
それはまずユングの経歴を辿ってみると理解が出来ます。ユングは牧師の息子として生まれ、戒律・しつけの厳しい家庭で育ちました。父母は不仲で時折家を出て行こうとする大胆な行動をとる母を見て育ちました。第二次性徴期にその性的欲望が出始めた事を、罪の意識が前面に出てしまい嫌悪・憎悪するようになってしまい、たいへん悩みます。それは夢としてあるいは白昼夢として偶然見るというより、夢があちらからやってくるというような形でユング自身を苦しめたといいます。やがてその夢は父親に対する憎悪であり、獲得できない母親への不全感からであることから来るとして、そしてそれがイメージあるいはビジョンとして、夢に出てきたわけです。特に父親を否定(イメージとしての父親殺し)して大人になっていく過程=エディプスコンプレックス。それをユングはまず実の父親で体験し、その後、1906年より次第に、傾倒していったフロイトという存在の、神話的研究等の魅力に惹かれていき納得していきます。1907年頃に初めて二人は出会います。精神分析学(深層心理学としても)を確立して認められていたフロイトを父と慕ってユングは1906年から文通を始めていました。フロイトが「人間を苦しめるものは抑圧された無意識の中にある性欲である。」と提唱して、世間が「何言ってるの・・・この人は?」という雰囲気だったため、若手で当時ブルクヘルツリ精神病院の優秀な医師オイゲン・ブロイラーの助手として勤務していたユングからの無心なラブコールに、フロイトは大きな希望を感じていたにちがいありません。
しかし、よき父性の象徴であるフロイトと出会って7年後に、また父親殺しのイメージを抱くこととなり、しかもその際フロイトの説であるところの、性欲(リビドー)が根源にある、母親との近親相姦願望としての父親に対する敵対・憎悪を、父親離れ父親殺し(エディプスコンプレックスのある者の)である!という分析そのものを、「決してそれだけでは説明できない!!」ときっぱり否定したのです。

その後、ユングはしきりに建築遊びに没頭し(箱庭の元型か?)さらに空想やイメージを事細かに書きとめていきました。以後10年後くらいに取り出してみて修飾し深く掘り下げ分析していくことで、たくさんの発見をするのです。医師としては病人の状態をなにかの病名にあてはめようとすることはせず、その病人の背景にある心的な物語を理解しようとすることが、その病人の治療になにより役立つということを実践していき、実際、確かに今まで治らないと言われてきた重い精神病患者も寛解することがあったといいます。
そして患者からの言葉や夢、メッセージ、ビジョンなどを書きとめていくうちに、そこには共通のイメージ(普遍的無意識)があり、それは誰であってもなぜか共通のイメージの役割をもつ登場人物、動物、物体、として出てきていることに気がつくのです。そんなファンタジーを本人はどの人間の心の中に潜んでいる共通の元型としてまとめ、認識していきます。

≪偶然の必然性≫
こんなことがあった1913年は、ユングにとっての一大転換期となった訳ですが、精神医学にとっても。そして偶然なのか世界情勢にとっても大きな変化の時代がやってきていました。特にヨーロッパにとっては第2次世界大戦が起ころうとしていた不穏な時代で、ナチスドイツが台頭してきた時に重なり、フロイトはユダヤ人であり、ユングは違った・・・ということも、出会った時点では二人にとって好都合に働いていたし、その後は、逆に理解できぬ不仲となり、ついには決別するという結果をも、もたらしたわけなのです。
ユングはその直前、悲惨な背景、たくさんの死体などのビジョンをみており、実際にその後戦争が勃発してしまいます。まるで予言者のようなこの能力・・・それに周囲の人は驚いています。しかしそれを超能力なんかではなく、人間に誰しも備わっている能力として、これを後に偶然の必然性という事象がおこるのだと分析しています。
これは次回話したいですが、私自身が経験しています。不思議な事はなぜか起こるものです。
生涯の妻、エンマ・ラウシエンバッハとの出会いもエンマが14歳の時で、階段の上に立つエンマをみて、将来妻となる人だと直感したそうです。

≪曼荼羅との出会い≫
その7年後結婚。ドイツ系スイス人のエンマの実家は実業家で、生活費の心配をしないで研究に没頭できる条件が揃っていたそうです。5人の子供にも恵まれ、さぞ賑やかな私生活だったのだとおもいきや、その頃仕事以外ではもっぱら、それが最初は建築遊びのようなものだったのですが、その後次第になにか円を描きたい衝動にかられ、何枚も何枚も書いていくうちに、それが東洋の曼荼羅の図にそっくりだということがわかり、感銘を受けます。常にユングは自分の思いを言葉に現わせないもどかしさを持っており、それを言葉以外の表現で現わすことで、癒されていたのでしょうね。
私がここでいつも思い出すのは、キリスト教の聖書のはじめ、創世記に「最初に言葉ありき・・・」という箇所です。言葉そのものが社会性であり、父性であるわけで、ユングはそんな父性の象徴である、キリスト教、そしてそれを職業にしていた父親、そして理解するために傾倒していったフロイト、最後には言葉を発する事=発語そのものを否定し、乗り越えていく作業に入ったのだと理解しました。
その象徴が曼荼羅(マンダラ)であり、その後も、晩年に向けて石を彫刻したり文字を刻んだりすること=言葉ではない作業・・・で心を穏やかにしていったユングに、カウンセリングの手法の答えをもらっているのです。
父性の対極に精神医学、心理学があり、それは母性そのものであり、そうでなくてはうまくいかないのです。そういえばOC-NETの仲間の皆さんは皆、とても母性的です。

≪黒の書≫
そんなユングの溢れ出るイメージ、ビジョンはファンタジーとして表現され、書き留められていったのですが、その表現が、後年、本人がまったく気に入らずにいたということで、単なる手記として本人に位置づけられてしまい、著作集には含めないこととされていたのです。これが【黒の書】なのです。
しかし1961年にユングがこの世を去り、その後、これに【試練】という原稿と【死者への七つの決別】という原稿を加え1990年以降にソヌ・シャムダサーニが編集することとなったのが【赤の書】なのです。

≪アニムスとアニマ≫
ユングにはエンマと結婚したあと、患者として出会ったアントニア・ヴオルフという女性との出会いがありました。トニー(アントニアの愛称)はユングのおかげでクライアントとしての立場から優秀な分析家となっていくのですが、トニーの思いがけない表現力のおかげでユングは何度も救われていきます。つまりユングにとっての言葉の代弁者、さらにアニマとなったわけです。現在の世間ではこれを不倫というのですが、当時の時代の、その国のモラルや宗教を鑑みて、当然、まったく今より理解されないものであり、もっぱらの噂になっていたということはいうまでもありません。そんなユングの私生活に関わり、つらい子育てをしていくうちに、妻エンマも、次第に立派な分析家となっていきます。特に夫ユングの中のアニマ(無意識の世界にいざなってくれる理想的な女性像)が、結婚後に、時間・体験と共に、どんどん変化していくのは当然であるということを突き止め、彼女の【内なる異性―アニムスとアニマ―】という著作を生むこととなります。若い女性助手トニーと3人で暮らすことになってしまったとき、妻エンマはユングを理解したいと必死になって苦しんでこれを分析していきました。
私のカウンセリングにあっても、配偶者から新しい異性の存在を突き付けられたクライアントさんのカウンセリングをお受けすることが多々ありますが、その時かならずエンマの分析を応用させてもらっています。

≪ユングは神経症であった?≫
話を戻しますが、ユングはフロイトと別れたあと、強くイメージやビジョンを見たり感じたりすることが多くなり、「ひょっとして僕は統合失調症を病んでいるのではないだろうか?」と感じていたようですが、実際ユングの書物=緻密に描かれていて、それそのものが芸術かもしれぬ【赤の書】のこと(黒の書を後に編纂修正加筆修飾の書、というようり芸術品)=を読んでみると、なるほど神経症を患っていたことは確かであるようです。しかしそれがユングの能力でもあったわけです。緻密な描写、記憶の覚書、分析・・・それは細やかな神経を持ち、秀でた感覚を身につけておらねば残ることがなかったでしょう。現在の見方ではかなりアスペルガータイプであったとも推察されます。神経症はその2次的なものであったのではないでしょうか。

*【赤の書】は本来この世に出ないで終わるところだったのです。ユング本人が「出版をしないで欲しい。」という遺志を残したと思われていたからです。しかし、C. G. ユング相続会がよく調査してみると、出版して欲しくないのではなく、まだ完成していないので、今は・・・ということであって、友人にも多数に読ませていた形跡があったので、決して公表を嫌がっていたわけではないとわかったのです。そこで【黒の書】と照らし合わせ【赤の書】に。それを2010年5月に河合俊雄先生他の編纂翻訳によって日本語版が創元社から出版されました。
私のカウンセリングルームにも置いてあります。カウンセリングにきたクライアントさんはご覧になれます。巨大な本ですよ。写真をどうぞ。

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【赤の書】を手にとってみて。
ユングの原本を忠実に再現してあります。それに日本語訳を丁寧に付けてくださり、とてもわかりやすい解説も大量に付けてくれてあります。翻訳に苦労されたようで、ドイツ語と英語両方を翻訳しながら日本語に直されたようですが、英語訳には誤訳が数か所あったようで、当初の出版予定月に仕上がらず、それでも少しでも良いものを!と、河合俊雄先生他のたくさんの方々が大変な努力をされて、遅れはしましたが、昨年6月に手元に届きました。
先生方と創元社さんに感謝!内容もさることながら、重さ、大きさのインパクトがなぜかユングらしいじゃないですか!河合隼雄先生が出来上がりを見ずに天国に召されたことが残念ですが、遺志を継いだ教え子たちに、「しっかりしなさいよ。」といってくれているような気がしています。亡くなる前の年に、私が会員になって活動している婦人の団体、全国友の会(創立者 羽仁もと子)の豊中友の会の講演に、講師として(体調がすぐれないのに無理を押して)来て下さった時の朗らかな微笑をたたえた先生のお写真と共に【赤の書】はいつも私のカウンセリングルームに飾られています。
ユングについてはそのほかたくさん書くべきことが溢れていますが、今回はこれまでにて終了!
次回は錬金術について何かお知らせできるとよいですね。なんだか魔法使いになったみたい?そうなのです。ユングは単なる心理学とか精神医学とかの学者ではなく、総合科学と宗教と哲学を併せ持つ学者だったのです。

参考文献 上記に紹介された書籍に加えて
       :青土社 現代思想 臨時増刊 総特集【ユング】 1979年 当時1200円
       :思索社 小此木啓吾 + 河合隼雄【フロイトとユング】 
                                      1979年 当時1400円
       :誠信書房 アニエラ・ヤッフェ編 氏原寛訳
                             【ユング そのイメージとことば】

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