アメリカ野球界で大活躍の大谷翔平選手は野球の技術のみならず、その人柄と社会的な貢献に由っても人々の称賛を集めている。その大谷翔平選手の愛読書が中村天風の著書であるという。中村天風とはどのような人物であろうか。
中村天風、本名中村三郎は1876年(明治9年)元柳川藩士の子として生まれた。幼い頃から才気煥発、地元の名門修猷館中学で英語を学ぶが、血気盛んで、本来の正義心から喧嘩に巻き込まれ、退学となった。父の転勤に従い東京へ。長じては諜報部員として日清・日露戦争で活躍。九死に一生を得る体験を何度も重ねたが、天風には体力・気力・胆力に自信があった。ところが30歳になって奔馬性の肺結核に罹患した。当時の医学では治療方法もなく、
死を宣告されたも同然だったという。体調の不良に加えて、死の恐怖、この様な病を得た自分の運命を呪わしく思う感情、それらが綯い交ぜになって天風を苦しめ、それまで培われた自信は脆くも崩れていった。医学者、宗教家に救いを求めたが、すべて徒労に終わった。目を海外に転じアメリカ、ヨーロッパにその解決を求める旅に出た。しかしそこでも思わしい結果が得られず、帰路に就いたアレキサンドリアで偶然インドの聖者カリアッパ師に出会い、師に付き従いヒマラヤで2年8ヶ月厳しい修行をし、病気も回復し「心身統一法」を会得した。帰国後新聞記者などを経ていろんな会社の経営に携わるが、1919年43歳の時に自身の哲学を広めるために「統一哲医学会」(現在の公益財団法人天風会)を立ち上げた。東郷平八郎、原敬、松下幸之助、稲盛和夫、宇野千代、広岡達朗などが教えを受け、影響を受けた人々は枚挙にいとまがない。
天風の気づきの第一は病を得たときにあった。健康な時には心も溌溂としていた。肉体が結核菌に蝕まれると心まで弱ってしまった。それはどういうことか?肉体と精神とはどうなっているのか?さらにはそもそも命はどこから来たのか?人間は何をする為に生まれてきたのか?この世の中に命をどう生かしたらよいのか?この命が終わったら、命はどこへいくのか?また同時に、ヒマラヤでの修行で「いのち」が救われたのは、何によってもたらされたのか。このことに深く考えるようになった。
この思考を突き詰めていくと、それは自分の心と体を「積極化」したことであり、それはまた、心と体を自然と「調和化」したことであるという結論に至った。なお、天風哲学でいう「積極(せきぎょく)」は一般にいうところの”強気一点張り“、何でもかんでも我武者羅にするという競争原理に支配された相対的な意味ではない。天風哲学でいう「積極」は一切の対峙から離脱した心の状態である。事ある時もない時も常に心が泰然不動の状態を指している。例え病に襲われても、不運に陥っても心がこれを相手とせず、言い換えるとそれに勝とうともせず、負けようとも思わず、超然とした安らかな落ち着いた状態の事であり、
虚心坦懐、泰然自若、とした状態を指している。
【丈夫で、元気に、幸せに生き生きと活きていきたい=well-being】というのは人々の誰もが願うところである。そのために「心」と「体」を「いのち」を活かす方向に向けて一つにまとめていく。天風哲学の目指すところは吾々生きているいのちの扱い方と吾々のいのちを生かせている大自然のいのちの力の取り入れ方を扱う。そしてその取り入れた力を人の世の為に発揮せんとするところにある。心と体を大自然が指向するいのちの次元で統一してこそその人の持っている力が活かせる。その具体的方法が「心身統一法」として用意されている。心と体の正しい活かし方を実践し、この二つを完全に統一した状態を造り上げ、その命の上に霊性心の煥発を目指す。そして、豊かな人格を完成して世の為、人の為になるべく社会にリンクして行く「人生道」である。従って究極の目的は認識上の「真」、倫理上の「善」、審美上の「美」を併せ持った【真人】を造り上げることにある。
この心身統一法は、単に「健康法」でもなければ、「修養法」でもなければ、「宗教」でもない。これらを超越した「根本道」であり、気が付けば自ずとWell-beingの状態に在る。
「心身統一法」はあくまでも日々実践、実行をして自らに磨きをかけてレベルの高い人間形成を目標として、組織構成されたものである。従ってこれから学ぼうと思われる人は必ず実行実践して体験されることを勧める。実行したからどうなるということを一々考えなくてもよい。実行そのものが即ち自己の向上であり、実践そのものが自分の人格の向上に繋がる。生活を営んでいることの楽しさを味わえるようになる。実践哲学と言うより、実践しないと意味がない哲学と言っても否めない。
一口に言うと、「いのちの力の充実とその発揮に向けて努力し、そしてその力が社会に調和的に役立ついとなみ」が天風哲学心身統一法の根本義である。